2013年5月9日木曜日

世界初の飛行機をめぐって揺れる論争

人間という動物は実に不思議な動物で、「初めて」というのをとても大事にする。
誰が何を最初にやったかは、殆どの場合においてはどうでもいい話です。
それを何かの利益に繋げようとすると話はガラリと変わります。広く言えば、「第一」にこだわるのもおなじです。世界最大、最高、最古等々何でもあります。
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ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト 5月9日 20時57分配信

グスターヴ・ホワイトヘッドと娘のローズ(1901年頃)。傍らで翼を休めているのは、1901年製単葉機「ナンバー21」だ。 (Photograph from Corbis)

 世界初の有人動力飛行を成功させたのは、ライト兄弟ではなくグスターヴ・ホワイトヘッドかもしれない。

 航空機年鑑『ジェーン世界の航空機年鑑(Jane's All the World's Aircraft)』の出版100周年記念版では、ライト兄弟(ウィルバー・ライトとオービル・ライト)が、世界初の有人動力飛行の成功者という栄光の座から引きずり下ろされた。

 新たにその地位に輝いたのはドイツ生まれの発明家、グスターヴ・ホワイトヘッド。以前から、ライト兄弟より2年以上前に、初飛行を成功させていたという説が唱えられていた。ライト兄弟がアメリカ、ノースカロライナ州キティホークの砂丘から飛び立ったのは1903年12月17日のことだ。

 ジェーン年鑑の編集部は、オーストラリアで航空史を研究するジョン・ブラウン氏が最近発表した研究成果に基づき、今回の改訂に踏み切った。しかし、ワシントンD.C.のスミソニアン国立航空宇宙博物館は、ホワイトヘッドの偉業に懐疑的で、その大部分が都市伝説だとみている。同博物館には、ライト兄弟が開発したライトフライヤー号が展示されている。航空学部門シニアキュレーターで、ライト研究の権威であるトム・クラウチ(Tom Crouch)博士は、「航空機年鑑の編集部はだまされている」と話す。

◆ジョン・ブラウン氏の研究

 改訂の基となったジョン・ブラウン氏の研究の発端は、皮肉にも、空飛ぶ自動車に関するスミソニアンのドキュメンタリー番組のためにクラウチ博士と共に調査しているときだった。ホワイトヘッドに関して見落とされていた大量のデータを見つけたという。

「さまざまな資料が多数見つかった」と、ブラウン氏は言う。例えば兄弟の成功よりも6年早い1897年、ホワイトヘッドが飛行試験を実施していたことを示唆する新聞記事もその1つだ。「彼にまつわる歴史をすべて書き換えなければならない」と、同氏は主張する。

 この事実を裏付ける証拠の1つに、1901年8月14日にコネティカット州フェアフィールドで、ホワイトヘッドが開発した飛行機を実際に飛ばしている様子を撮影した写真がある。当時「Bridgeport Herald」誌が掲載したリトグラフにも当時の様子が描かれているが、写真は現存していない。しかし1906年、電気技術者ウィリアム・ハンマーが航空展覧会の展示パネルを撮影した1枚に映り込んでいたという。

 この写真はスミソニアンが所蔵するウィリアム・ハンマーのコレクションの1つだが、ブラウン氏は調査を許可されていないという。しかし、ホワイトヘッドの生まれ故郷のドイツ、バイエルン州ロイタースハウゼンにあるグスタフ・ヴァイスコプフ博物館で複写を見つけた(ホワイトヘッドの本名はグスタフ・ヴァイスコプフであり、後に改名した)。

 また、彼の航空学のバックグラウンドや、開発・販売したモーターに関する記録、飛行を実際に見たという目撃者の宣誓供述書、新聞記事から、「紛れもない事実だ」とブラウン氏は主張する。同氏は現在、ホワイトヘッドの生涯を描くドキュメンタリー映画をドイツで制作している。

◆不可解な契約

 航空史には1914年頃、失態を演じたスミソニアン協会の負の記録が残っている。飛行試験に失敗した飛行機を改造して博物館に展示し、世界初の飛行機の開発者は元事務局長サミュエル・ピエールポント・ラングレーだと宣言したのだ。

 ライト兄弟の兄ウィルバーは当時他界しており、弟のオービルは抗議したが、協会は門前払いの仕打ちで応えた。その後オービルは、ロンドンの科学博物館の申し出を受け入れてライトフライヤー号を引き渡してしまう。同機はオービルが死去する1948年まで同博物館に展示されていた。

 同年12月、ライトフライヤー号はアメリカに帰還し、スミソニアンに展示された。兄弟の遺族は条件として、世界初はライト兄弟であることを認めさせる契約を協会と締結する。協会がライト兄弟以外を世界初の成功者や開発者と認めた場合、機体は博物館から即座に撤去されるという。

 一方、スミソニアンのクラウチ氏は、「兄弟の研究を続けてきた20年間、毎年決まってホワイトヘッドの初飛行説が出てくるが、一度たりともそれを裏付ける証拠はない」と話す。

 また、飛行を証言する目撃者の宣誓書を疑問視している。「飛行試験を成功させる数カ月前に兄弟がホワイトヘッドの元を訪れ、技術を盗んだ」と、従業員が証言する宣誓書と同様に信用できないという。

 すべて何十年も後の証言で、信頼性に欠けると指摘する。「ホワイトヘッドに会いに行った事実はない。兄弟が日々どこにいたかを記した200ページもの年表を見ればわかる」と同氏は反論する。

 さらに、ホワイトヘッドの偉業に対する隠蔽工作説についても、同氏は異議を唱えている。

◆今後の展開

 ジェーン年鑑の改訂によって世間の注目が集まり、スミソニアン協会はブラウン氏に問題の写真の調査許可を出した。そもそもブラウン氏は写真の許可を申請していないとクラウチ氏は指摘する。

 ブラウン氏はこの話に乗り気で、映画制作班を連れて行く計画を練っているという。この写真が議論の鍵を握っている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130509-00000001-natiogeog-sctch

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