2013年12月16日月曜日

「ノーベル賞受賞研究でも間違っていたことはある」 ノーベル賞に最も近い71歳・本庶博士の「喝」

まず、「受賞」は「受章」と間違っています。チェックが甘いか、されでいません。
次は、日本のノーベル賞受賞者はやはり京大出身者は多いことです。東大出身者は政治の舞台で「活躍」する人は多いでしょう。
最後には、人間はだれても同じて、間違いをするのは何ら不思議はありません。
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「研究者の人生はエゴイスティック」。今年度、文化勲章を授与され、日本で最もノーベル賞に近い研究者の一人とされる京都大客員教授の本庶佑(ほんじょ・たすく)博士(71)は、自身の研究生活をこう振り返る。生物の体内に侵入した細菌やウイルスなどを撃退する免疫の研究で世界的な業績を打ち立てた分子免疫学の第一人者。「定説を覆す研究でなければ科学は進歩しない。歴史に残ることもない」と、次世代を担う若い研究者に喝を入れる。毎回ノーベル賞候補に挙げられるが「ノーベル賞に輝いた研究の内容が、後で間違っていたと判明したこともある」と笑い飛ばす。日本が誇る「知の重鎮」の眼光は今も鋭い。■常に未知の分野へ 「面白いことを見つけると、ほかのことは忘れてしまう。そして、なかなかあきらめない」。文化勲章の受章決定会見で自らの性格をこう分析した本庶博士。その研究者人生は「誰もやらなかったことへの挑戦」の連続だった。 京都大大学院医学研究科で学んでいた大学院生のころ、ジフテリア毒素が細胞を死滅させる仕組みを明らかにした。当時まだ解明されていなかった課題に取り組み、粘り強く実験を続けた成果だった。 「誰も知らないことを明らかにすることの楽しさに魅了された」。昭和46年には、新たな挑戦として遺伝子の研究を進めるために渡米。その過程で免疫というテーマに出会った。 米国で最先端の研究に取り組むうち、「日本でも本格的な研究を立ち上げなければ」と感じるようになり、49年に帰国。東京大医学部助手となり、生物の体内に侵入した異物を撃退するため複数種類の抗体が作られるという免疫の仕組みの解明に挑んだ。当時、まだ謎に包まれていた分野だった。 来る日も来る日も、研究室にこもる日々。そしてついに、異物である抗原を迎え撃つのに最も適した抗体を作るため、遺伝子の組み換えが起こることを突き止めた。この「クラススイッチ」と呼ばれる現象を解明したことが、文化勲章の受章理由のひとつだ。■定説を打ち破れ 本庶博士が強調するのは、過去の定説にとらわれないことの大切さだ。 「学問の世界も保守的で、定説に沿わないような論文はなかなか認められなかったりして苦労するものだが、後世に残る研究とはそういうものだ」と繰り返し強調する。 本庶博士自身、70歳を超えた現在も京都大客員教授として研究室を率い、新たな挑戦を続けている。「楽しいのは、自分の立てた仮説がピタッと当たるとき」と、情熱は衰えることがない。静岡県公立大学法人理事長なども務める多忙な身だが、時間の許す限り研究室に顔を出し、データをチェックする。 いつノーベル賞を受賞してもおかしくないといわれて久しいが、「ほしいと手を挙げるものでもない。ノーベル賞に輝いた研究の内容が、後で間違っていたと判明したこともあるしね」と笑い飛ばす。 本庶博士の師である早石修・京都大名誉教授や、同じ早石門下で同期生だった中西重忠・大阪バイオサイエンス研究所長らも、ノーベル賞の候補に挙げられる。誰もが認める日本を代表する頭脳集団の重鎮の一人だ。 「人間、最後は体力が勝負。今もあまりエレベーターを使わないようにしている」という本庶博士。健康法はゴルフで、出勤前と帰宅後に自宅の庭で素振りをするのが日課だ。■基礎研究の重要さ もうひとつ、本庶博士が強く訴えるのは、基礎研究の重要さだ。「最近は、数年程度の短期間で結果が出る学問が求められる傾向にあるのは残念だ」。 すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる−。そこには、実用一辺倒になりつつある最近の研究への強い危機感がにじむ。 本庶博士は、かつて自らが発見した免疫抑制の仕組みを応用した新しいがん治療法がようやく実用化の目前まで来ていることを例に挙げ、「私がやったことは物事の真理を究めたいという非常に基礎的な研究で、初めから臨床応用を考えていたわけではなかったが、ようやく20年かかってここまで来た」と話す。 そして「研究成果が社会に還元されるまでにはこのぐらいの時間が必要だということを、多くの人に理解してほしい」と述べた。 平成18年から約6年間、内閣府総合科学技術会議の有識者議員として、科学技術政策の立案にも深く関わった。日本全体の科学研究の方向性や予算配分にも影響を及ぼす重要ポストだが、ここでも本庶博士は政治家や官僚に対し、基礎研究の重要性を訴え続けた。 京都大の山中伸弥教授がマウスのiPS細胞を作り出すことに成功したことが発表されると、すぐ政権首脳にかけあってその重要さを訴えるなど、研究の後方支援でもその敏腕ぶりを発揮。山中教授が所長を務める京都大iPS細胞研究所の設立にも尽力した。 そこには、「すぐに結果が出ないような基礎的な研究であっても、それが本質的なものであれば、いずれ物事に大きな影響を与える」という強い思いがある。 「物事の表面ではなく、奥深くにこそ、さまざまななものが隠されている」。それこそが、長年の経験に裏打ちされた揺るがない信念だ。 11月3日、皇居で天皇陛下から勲章を授かった本庶博士は「ぶれずに研究を続けてきたことへのご褒美」と喜びを口にした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131215-00000529-san-sctch

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