何でも論争があるのは、人間は所詮動物であることの証ですね。
領土ならまだ動物の縄張りに結び付けられるが、誰が先に稲植えを始めたか位はどうでもいいような気がして仕方がありません。
現代用語で言うならば、仮想空間における縄張りと言うことでしょう。信念、倫理、宗教など物理的に存在しない空間です。
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イネのゲノム(全遺伝情報)解析で稲作のルーツに迫る成果が相次いでいる。最初の栽培地は中国南部の珠江(しゅこう)流域とする新説が発表されたほか、栽培化の引き金となった遺伝子も新たに見つかった。日本人の食生活を支えるコメの源流を探った。(長内洋介)
■「論争に終止符」
植物の栽培は多様な野生種の中から、人間に好都合なタイプを選び出すことから始まる。例えば、野生イネの種子は実ると地面に落ちてしまうので、採集しにくい。そこで古代人は、突然変異で落ちにくくなった"変わり種"を見つけて稲作に利用し始めたと考えられている。
こうした人為的な選別と進化の過程で、栽培イネのDNAには特徴的な遺伝的変異が刻まれていった。その痕跡をさかのぼれば、栽培の起源に迫ることができる。
人類がイネの栽培を始めたのは約1万年前。発祥の地はこれまでインド北東部のアッサム地方、中国の長江流域、東南アジアなど多くの学説が提唱された。また、起源地は1カ所ではなく複数との見方もあり、論争が続いてきた。
国立遺伝学研究所の倉田のり教授(植物ゲノム学)らは中国と共同で、アジア各地の約450の野生種と約1080の栽培種のゲノムを網羅的に解析。最初の栽培イネは、ベトナム国境に近い中国広西チワン族自治区の珠江流域で生まれたことを突き止めた。
栽培イネの系統は中国から日本に伝わったジャポニカと、インドや東南アジアなどのインディカに大別されるが、どちらも珠江中流域の南寧市付近の野生種が祖先と判明。ある一つの野生集団からジャポニカが生まれた後、南下したジャポニカが各地の野生種と交配し、インディカが生まれたことも分かった。
この分析結果は、全体の起源は一つだが、インディカは複数の起源を持ち多様性に富むことを示しており、従来の「単一説」と「複数説」の両方を包含するものといえる。倉田教授は「まさにルーツと歴史が明らかになった。長年の論争に終止符を打つ成果だ」と話す。
■穂を閉じる変異
最初の栽培イネは、どのような仕組みで誕生したのか。神戸大の石井尊生(たかしげ)教授(植物育種学)らは、イネの穂の開閉を制御する遺伝子が栽培化の引き金になったことを見いだした。
野生イネは穂が開いているが、この遺伝子の働きが弱まると穂は閉じる。野生種の種子には風を受けて飛散するための細長いひげのような突起があり、穂が閉じると種子は突起で支えられ、落ちにくくなった。
また、穂が閉じることで、おしべとめしべが外に出ないように押し込まれ、自分の花粉で受精しやすくなり、性質が均一で栽培に適したイネが生まれることも分かった。
DNAを分析したところ、この遺伝子の働きを弱める性質は、栽培イネが共通して受け継いでいた。石井教授は「人類が新しいイネを作り出すきっかけになった遺伝子を特定できた」と話す。
栽培イネは自然界では生きられない。収穫しやすさが優先され、生存競争に必要な遺伝子を失ってしまったからだ。野生種との違いを詳しく調べれば、環境や病気に強い隠れた遺伝子が見つかる可能性があり、品種改良の新たな手掛かりが得られる。
■日本へのルートは謎
日本に稲作が伝わったのは約3千年前ともいわれ、そのルートは朝鮮半島や南西諸島経由、長江下流域からの直接伝来など諸説あり、はっきりしていない。
総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎教授(植物遺伝学)は「ルートは複数だったのではないか。解明には考古学と自然科学を組み合わせた研究が大切だ」と指摘する。
野生イネは原産地とみられるアフリカ、アジア、南米に自生しているが、どのように広がったのかは分かっていない。倉田教授は欧米やブラジル、インドなどと共同で世界の野生種のゲノム解析を進め、進化の道筋の全容解明を目指している。
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